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観察させる、喚起する

竹久 侑(水戸芸術館現代美術センター主任学芸員)
 
 
陶を主たる素材とする北林加奈子の作品と向き合うとき、往々にしてその中心を成す物体が、石であるのかどうか、まず目を凝らして見てしまう。あたかも幾月、幾年もの時をかけて波に揉まれた浜辺の石のように滑らかで、けれども細やかな凹凸があり、それらを覆う表面は単色ではなく、ところどころ黄変したかのように黄味がかっていたり白濁していたりする。この部分的な変色は、熱や水、紫外線など何らかの外からの影響を連想させる。一方で、自然にはありえなさそうな平べったい直方体のフォルムを見ると、やはり眼前にあるこの石のようなものは、作家の手による人工物であるという見立てに辿りつく。つまり、先に述べた変色も、正しくは粘土に釉薬を施して焼成したことによって意図的に作り出されたものにほかならない。自然にありそうでないもの、けれどもどこかで見たことのある現象や事物を思い起こさせる、既視感のある物たち。北林の作品は、私たちの記憶のスイッチを静かに押す。
 
北林の作品を前にすると、鑑賞というよりむしろ「観察」という言葉が適切に思える行為が促される。「舐めるように見る」というと不快なニュアンスがあるが、北林の作品をしげしげと見るその行為は、「舐める」という身体的、触覚的な言葉がどこかしっくりくる。おそらくそれは、彼女の作品を見ていると、触らずとも触ったような感覚を覚えること、あるいは思わず触りたくなるような欲求を抱くことと関係しているだろう。
 
さらに、観察を進めてみる。先端に小さな玉がついている細いワイヤーは、その玉の重みで頭を垂れている。半ば空間に浮遊しているようであるそれらの玉は、人の動きや空調の風で時折揺れる。もしくは揺れること、その弾みを想起させる。ほかの作品に目を移すと、リボン状のスエード皮革もまた、その弛み方から、それそのものの重さについて雄弁に語りかける。靴や鞄として過去に触ったことのある、スエード独特のあのしっとりした触感の記憶がよみがえる。頭をかしげた玉の揺れや、スエードの弛みは、重力というこの地球上に存在するすべてのものに関わる原理的な力を、にわかに思い起こさせるのだ。
 
あいにく、展示室における鑑賞行為に、触覚を稼働させることは歓迎されない。かえって北林の彫刻は、視覚だけを通してありありと触覚を喚起する。まるで誰かが繰り返し撫でるうちに丸みを帯びたような、そんな形をしている。生まれてから今に至るまでのいつしか、どこかで見たことのあるもの、触ったことのあるものが、脳内のいくつもある引き出しの一つから不意に取り出され、輪郭をもち始める。その呼び起こされた風景は、人によって異なるかもしれないし、複数の人びとが共有するものかもしれない。いずれにしても見る人の頭のなかで初めて像を結び、完結する。